ジャニス・コール
“エージング・アウト”は、フォスターケアの世界では良く使われる言葉です。アメリカのフォスターユース(社会的養護の当事者)ならだれでも、18才の誕生日を迎える時、または高校を卒業する時に体験 は、ユースが州“エージング・アウト”とは、州政府のケアの下を離れ自立することなので、 官僚的な保護から自由な身になるのと同時に、ユースにとっては、それまでシステムの中にいたから受けることができた、あらゆるサービスを断ち切られてしまうことでもあります。例えば、里親家族との生活、金銭的な援助や、そして、衣食住などの基本的なニーズ。
私自身も、他のほとんどのユースと同じように、システムを離れて自立する時 「これでやっと自分のことは自分で決められる」という晴れ晴れとした気持ちでいっぱいでした。その時までは、私の住む場所や、私を養育してくれる家族や、通う学校だけでなく、海外に行ったり、自動車免許を取得するにも、すべて州の決断と許可にたよる生活を強いられてきました。(私の担当のソーシャルワーカーとはほとんど顔を合わせたことがありませんでしたが・・。) だから、 自分の人生の操縦席に私自身が座れることをどれだけ望んできたかわかりません。でも、高校の卒業式が近づくにつれ、私にはそれまでの「大人になれる」というエンパワーメントに似た気持ちが、不安へと変わってゆきました。私のエージング・アウトにとって、ネガティブだったことは、そこに在ったはずのリソース(資源)が、私のもとに届かなかったことです。私がひとり立ちして大人になる成熟さに欠けていたのではなく、私の自立に必要なリソースがそこになかったことです。
夏期休暇のあいだ住むところのないまま、私は『フォスターケア・トゥー21』というプログラムに申請しました。ワシントン州の提供する措置とサービス延長のプログラムで、ユースがそれまで受けていたケアとリソースを、18才で打ち切らず、21才まで維持することができます。その当時、私はずっと年上の姉の家で暮らしていました。このプログラムのおかげで、姉はそれまでと同じように養育者対象の給付金を受けることができ、私の世話を可能にしました。
『フォスターケア・トゥー21』は夏休みの間は、私に住むところと健康保険を保障してくれました。新学期が始まり、大学に入学すると、新たな困難が待っていました。私に届いているはずのファイナンシャル・エイドの手続きが、大学生活の最初の1ヶ月の半ばまで遅れていました。私はその月の終わりまで、一文無しの生活を余儀なくされました。ファイナンシャル・エイドがなかったので、学生寮の食堂は使えず、食べるものもありませんでした。夏休みの間にアルバイトで稼いだすべてのお金を教科書につかってしまったので、銀行にはほんの少しの預金しかなく、私はひと月、一斤のパンとピーナツバター、そしてカップヌードル一箱の食生活、そして寮のユームメートの親切心への感謝にくれる生活を送りました。
大学生活の最初の1ヶ月。この人生の大切な“変わり目”をふり返り、苦い思いのする原因は、私を救うことができたはずの既存リソースが私に差し伸べられていなかったことでした。私はそのリソースの存在を知らされていませんでした。だから、ユースから大人への”エージング・アウト”の時期にもどって、ひとつだけやり直せることがあるとしたら、私が変えて欲しいのはこのことです。 私の担当のソーシャルワーカーは、緊急時の経済的援助やフォスターユースのために用意されている大学構内のサービスについて,しっかり説明してくれていたら、私はこんな思いをする必要はありませんでした。私は いわゆる「世話のかからない子ども」「援助の必要のない、しっかりした子ども」というイメージで周りの人たちから見られていました。ですがそれは、ほんとうの私の姿ではありませんでした。少なくとも、その人生の中でも一番重要で、そして人の助け無しではあまりに難しいトランジション(過渡期)においては・・・。
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