デイビッド・イングリッシュ
タイム誌によると、日本では2009年、38700以上の18才以下の子どもたちが保護されているが、養子縁組をされている児童や里親家庭で暮らしている児童は、その10パーセントしかいない。ジャパン・タイムスは、2013年度の統計について報道している。日本のフォスターチルドレンの総数は約39000人。そのうち、里親家庭に措置されているのは、12パーセントのみ。この記事は、オーストラリアは93.5パーセント、米国は77パーセントの要保護児童を、里親家庭などの家庭的なケアのもとで養育していることも報じている。
この統計はかなり対照的だ。これを、単なる数としてではなく、生身の日本の社会的養護の当事者ひとりひとりに照らし合わせてみると、彼らの実生活や現状に、打破することのできないような、ものすごいインパクトを与えているに違いない。
最近僕は、自分の人生にとって、いちばん力強いリソースは何だったかを、人に話す機会があった。僕は躊躇せずに、自分には、まわりに支援をしてくれる人たちがいた事だと答えた。そしてその支援者たちの中心にあったのは、僕の里親であり、家庭であり、そして、何か困った時にいつもそこにあった、支援だった。
僕がフォスターケアに身を置いた9年間、覚えきれないくらいの数の学校の先生がいた。誰が誰だかわからなくなるほど大勢のソーシャルワーカーやセラピストがいた。その中の何人かは僕の助けになってくれたけれど、いつも僕に寄り添うように支援してくれていたわけではなかった。こんな、一貫性のない生活の中に、いつも僕だけのためにそこに居続けてくれたのは、僕の里親だ。里親は、僕が好きそうなこと、一緒にできたらきっと楽しそうな事をいつも見つけてくれた。僕の誕生日の食卓には、僕の好物がのっていた。こんな単純に見えて大切なことがなかったら、僕は大学に行こう、そして、社会に出て成功しよう、とは思わなかっただろう。僕には「統計の数」や「単なるケース」としてではなく、一人の人間として受け入れ、育んでくれる人が必要だった。
ここでもう一度、最初の統計に戻ろう。日本のフォスターユースの88パーセントは、衣食住などの基本的なニーズが満たされた環境に暮らしている。そこには、措置解除後に必要なスキルを学べるようなサービスもあるのかもしれない。でも、彼らに与えられていないものは、ひとりかふたりの人間だけが持つ、根本的な力だ。僕らがフォスターユースだということで世間から偏見を受けようと、そこにいつもいてくれる人たち。困難に立ち向かわなくてはならない時、一緒に成功を祝ってくれる人たちだけが持っている力。
今の、アメリカと日本の措置の状況の差異は65パーセント。この差を縮めるには長い時間がかかるだろう。でも、2009年から2012年の間に、すでに2パーセントの向上を見た。これは、日本のユースたちが、少しずつでも家庭的な養護の中で生活できる道が切り開かれている兆候なのではないか。苦楽をともにできる家族とユースすべてが暮らせることを期待してやまない。
コメントを残す