ティム・ベル
子どもの日は、日本の国民の祝日だ。アメリカの母の日とか父の日に似ているのかもしれないが、これは、日本の社会の一部である子どもたちをお祝いする日なのである。僕としては、自分の「内なる子ども」を祝う日だ、と思っている。偶然にも、というか思いがけなく、5月はアメリカでは、「全米フォスターケア月間」だ。フォスターケアの中で起こる成功を祝い、何が変わらなければならないか、を知る月である。僕は米国に住んで、IFCA という国際的な団体を通じて日本と連携し、アドボカシー活動をしているので、すんなりとこのふたつのことを重なり合わせて考えてしまうのだ。日本の「子どもの日」とアメリカの「フォスターケア月間」のある時期に、このふたつの国が5月のある一定の日、または週、もしくは月全体をフォスターユースたち、そして、ケアを離れて自立したユースたちの経験を、 またかれらが誰であるかを理解するための特別な期間したらよいのではないだろうか。ユースたちの経験には、心温まることもあれば、ぞっとするようなエピソードもある。けれど、重要な事は、アメリカと日本でフォスターケアがもっと世の中に知られるように、話し合いができるような、そんな環境をつくることだと思う。
過去20年を振り返ってみると、自分のフォスターケアの経験についてカミングアウトする人が年々増えたために、アメリカでも日本でも、社会的養護にかんする一般の見方は変わったし、認知度も高まった。まだまだ、このことについて目を背ける人がいる社会の中で、ただ単にカミングアウトするのではなく、自己の過去の経験をあからさまに語ることはほんとうに勇気がいることである。これは、法律理論とか、新聞記事の中の題材といったものとは違う。フォスターケアに身を置いた経験のある人たちは、君の隣人だったり、会社の同僚だったり、両親だったり、夫や妻だったりする。けれど、彼らは自分たちのフォスターケアの経験について積極的に語る機会を十分に与えられなかった。たとえ、そうすることがシステムの改善に役立ったり自分の中の問題を解決する鍵になることがわかっていたとしてもだ。だから、周りの人たちには彼らのほんとうの姿が理解できなかった。もっと多くのフォスターケア経験者がカミングアウトし、制度について語れば、隣人、友人、そして親類などがこんなふうに言えるだろう。「この人たちは法の下に平等に扱われる権利がある。法の下において、会社で私の隣に座っている人、私が一生をつうじて愛した人は、フェアな扱いをうけるべきだ。そして、これからカミングアウトする人たちにも、同じような権利があたえられるはずだ。」
そんな理由から、僕は、「子どもの日」が、「フォスター・チルドレンの日」になることを願っている。アメリカでは、幸運なことにも5月全体がフォスターケア月間になっている。だから、養育者のグループや、アドボケート、政府組織、そして一番重要なフォスターユースとケアを離れて自立した若者たちが、啓発につながるように、自分たちの抱えている問題について、そして自らのストーリーを公然と語ることができる。「全米フォスターケア月間」は、最近では、年ごとにテーマを与えるまでになった。今年(2015年)の「全米フォスターケア月間」は、LGBTQがテーマになった。フォスターケアに身を置くユースの同性愛者の割合が高く、いくつかの州では、同性愛者は里親になったり、養子縁組できないような規制をもうけている。このように、「全米フォスターケア月間」であるトピックに焦点をあてることによって、そのフォスターケアのトピックについて、社会啓発を行う目的を果たしている。日本では、フォスターケア月間をもうけるのではなくて、子どもの為のなにか特別な日を持ったらよいと考えている。子どもたちの体験はユニークで、フォスター・チルドレンの体験はそれ以上にユニークなものだからだ。いつかきっと、そうなることだろうと思う。
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