エレナ・ジョーンズ
こんにちは。私はエレナ・ジョーンズです。IFCA米国ユースチームのコ・ディレクターです。ワシントン大学で社会福祉学を勉強しています。
今日の企画は、“ノーマルシー”、社会的養護の当事者がどのように “正常性・当たり前の生活” を手にするのか、ということがテーマです。私たちにとっての普通の生活、人生に選択肢とコントロールを持つことについて、お話しします。愛しいと思える人生を手に入れる価値を、私たちひとりひとりが持っているからです。
率直に言うと、見知らぬ人に育てられるということに、ノーマルシーはまったく存在しません。知らない人どころではなく、子どもを育ててお金をもらっている人たちに養育されることくらい、ノーマルシーからほど遠いことはないのです。私たちが存在するゆえに、利益を得ている人たち。お母さんとかお父さんとは呼べない人たち、つまり里親は、私からすると偽のママと偽のパパ、ということでしかありません。
社会的養護に身を置くユースのたった1%が大学する現実は、ノーマルシーからはあまりにかけ離れています。50%のユースが、ケアを離れた後にホームレスを経験します。少年院を出てホームレスになる若者たちはどのくらいかというと、実は70%とか80%だと推測する人が多いかもしれませんが、じつは、フォスターユースと同じ、50%です。アメリカの社会的養護の当事者は、少年法のもとで監督を受けている若者たちと似かよった量と質の自立支援を受けていると言えます。何かが変わる必要があります。
https://www.covenanthouse.org/homeless-teen-issues/statistics
興味深いことに、アメリカは同じ児童福祉の実践をずっと踏襲しています。この先5年後、10年後に、その効果が変わらなくても、べつだん驚くようなことでもありません。でもそれはいったいなぜなのでしょうか。フォスターケア(社会的養護)そのものが、もともと、間違った考え方 だからです。私の理想とするフォスターケアは、社会的養護を、なくすことです。家族に必要な物的資源ややサービスを十分に与えることにより、虐待やネグレクトを未然に防げば、子どもたちが家族以外の人たちと住む必要さえなくなります。こういったニーズのある家族に、闘う力を与えるべきです。
学校を起点として、虐待予防に取り組むことができると思います。例えば、幼稚園児が学校を休んだら、何か家庭の中に問題があるかもしれない、という気づきが重要になります。高校生が計画的に学校をさぼるのとは違うからです。私が幼稚園に行っていた頃、どれだけ学校を休んだか、数え切れないほどでした。そこで、ソーシャルワーカーが介入すべきだったのですが、実際には、2年後に児童保護局の介入が初めてあった時には、冷蔵庫には食べ物がひとつもなく、私のお母さんは病気で、治療が必要でした。その結果、私は、家族と引き裂かれて、児童保護局に身柄を引き取られるというトラウマを経験しなければなりませんでした。
児童福祉の分野で仕事をしている多くの人たちが、自分たちはヒーローだ、と思っているのではないでしょうか。自分たちは子どもを救っているのだ、と勘違いしているのです。これが、虐待があるのに、すぐに介入しない理由です。自己満足感をいっそうふくらませているわけです。ですが、もしも、もっと早期の段階から、援助の手を差し伸べていれば、何百万人という子どもを救うことができるはずです。子どもを救うことは、不健全な家族を修復するということだけではなく、社会的養護のもとで暮らさなくても済むようにすることも含まれるのです。
もういちど繰り返しますが、社会的養護は、もともと、決して良くないシステムなのです。社会的養護が完全に消えてなくなることはない、ということは私にも理解できます。どんな社会的資源をもってしても、緊急の事態などがおこれば、一時的に子どもたちを保護する必要があるのはわかります。けれども、それなら、その経験をできる限り短いものにするべきです。そうすれば、私のようなフォスターユースが、過去を振り返る時、 見知らぬ人のところに泊まった経験ではなく、または、明日はどこに寝るんだろう、とか、両親と今度はいつ会えるのだろう、という気持ちを抱いた記憶をではなくて、両親と一緒に公園に行ったことを思い出すことができます。
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