A.S.
皆様こんにちは。日本ユースのあおいと申します。本日は“ノーマルシー”に基づいた私の社会的養護の経験についてお話しさせていただきます。
私は社会的養護の元で生活する上で、周囲と自分の違いを何度も、そして、強く意識していました。その中でも特に私の記憶に強く残っている経験から、3つを紹介させていただきます。
まずは私が児童養護施設に入所する経緯です。私は3歳の時に児童養護施設に入所しました。
理由はいわゆるネグレクトで、両親の離婚をきっかけに、母親は働きづめの生活となり、私の世話を10歳年上の姉が担っていることを心配され、児童相談所に保護されました。
早速まず一つ目ですが、私は児童相談所に保護され児童養護施設へ措置される際に、兄弟が別々に暮らすこととなってしまいました。4人兄弟のうち、一番年上の姉はそのまま家族の元、2番目の姉は都内の児童養護施設、兄と私は別の都内の児童養護施設へ措置されました。3歳で児童養護施設に入所してから、それぞれが措置解除になるまで別々に生活をし、次に二人の姉に会うことができるまでに相当な時間がかかったことを覚えています。母親との別れだけでなく、兄弟との別れも経験したのです。これが一つ目の経験です。
その後、施設内の子ども同士の上下関係に振り回されながらも、施設の職員や学校の先生、友達など、人との出会いに恵まれて生活をしてきましたが、中学から高校への転換期に、2つ悔しい経験をしました。
小、中学生の頃から勉強をする習慣がない児童養護施設の子どもたちの中でも真面目に勉強に取り組んできた私には目標としていた高校がありました。しかし、その頃私が生活をしていた児童養護施設では私立の高校への受験が認められておらず、滑り止めとして私立の高校を受験し、レベルの高い高校に挑戦する、ということができませんでした。高校に在籍することができなければ児童養護施設の入所を続けられないこともあり、確実に合格する学校を受験することしかできず、結局自分の希望する高校からレベルをいくつも下げた高校を受験し、入学することとなりました。真面目に勉強をしてきたのに、挑戦する場も制限されてきたことはとても悔しい経験でした。
また、もう一つの悔しい経験は、今でも忘れられないものです。私は高校入学を機に、小学1年生から続けてきて、私の人生の大きなウェイトを占めていたサッカーを諦めるという決断をしました。大学へ進学するために、自分以外のほとんどの人が持っている携帯電話を買うために、アルバイトをしてお金を貯めなければいけない私たちにとって1週間のほとんどが練習や試合で埋まってしまうサッカー部への入部はとても困難な選択でした。この時期は本当に悩み、相当悩んだ末に将来のことを考えてサッカーを諦め、アルバイトで貯金をすることを決めました。覚悟を持って決めたものの、結局練習の少ないサッカーチームに入ったりしたものの、放課後に校庭で練習をしているサッカー部員たちをみて何度も打ちひしがれました。自分の大切なものを諦めるという経験は現在でも忘れることのできない悔しい出来事でした。
以上は私が児童養護施設の中でノーマルシーに基づいて思い出す経験の一部です。これらの経験は本当にごく一部であり、周りと違うということを何度も突きつけられ、悩んで生きてきました。今後、社会的養護の元で生活をする子どもたちが、自分らしく、自身の人生を積極的に生きていく為に、周りとの違いや自身の置かれた現状から諦めることのない社会とする為にも私自身も積極的に行動していきたいと思います。
コメントを残す