至福
ジャニス・コール
高名な哲学者であり、神学者でもあるジョセフ・キャンベルは、こんな言葉を残している。「あなたの無上の幸福を追求しなさい。」この言葉を、キャンベルは自作の「英雄の旅路」の中にたくし、「旅立ち」「通過礼儀」そして「帰還」という三つの要素とともに語っている。
キャンベルは、この「英雄の旅路」の根底に流れているテーマは、どんな物語の中にも存在することを、一生をかけて論証した。まず、英雄は自己の日常の生活を離れ、冒険へと導かれる。そして、「通過儀礼」をとおして、未知の世界への旅路を歩み進んでゆく。新しい世界に突入した英雄は、試行錯誤と挑戦を乗り越えながら成長し、自分がもときた場所へ帰還する。旅から得た知識と自己成長をたずさえて、英雄は住み慣れた土地の民衆に、自分の体得したことの全てを共有しようとする。私は、この英雄の旅路は、フォスターケアの比喩だと思う。フォスター・ユースは、自分の家族から引き離され、見知らぬ世界(家庭や施設)に投げ入れられる。そこで出会うものは、挑戦と障壁。膨大な障害物をくぐり抜けることを強いられる。大人になると、フォスター・ユースは、社会的養護の当事者という役目を終えて、ふつうの人間として「帰還」することができる。その時点で、私も含めた多くのユースたちは、自分以外のフォスター・ユースのためになにかできることはないか、彼らの生活を改善するためにはどうしたらよいのか、と考える。
英雄の旅路の重要な要素のひとつとして、英雄は何事においてもひとりでは行動しないということだ。英雄は、冒険のなかで、メンターからの指導や支援を受ける。私自身のフォスターケアの旅路を振り返ると、サポーティブ・アダルトの存在がなかったら、今の自分がいなかっただろうと言いきれる。サポーティブ・アダルトというのは、単に、ユースが出会う大人という意味でなく、ユースの人生にとって、重要な役目を果たす特別な人物のことである。彼らは、もちろんユースを援助するが、それ以上の意味と役目を持つ人たちのことだ。サポーティブ・アダルトとは安全で、信頼を置くことができる大人で、ユースへの指導と感情的なサポートが与えられる人物。また、ロールモデルになれる人であり、ユースのニーズに対して、自我を忘れてつくすことができる人である。
今年の3月、私はこの「サポーティブ・アダルト」の考え方について、日本で発表する機会があった。 IFCAの情熱をもって取り組んでいる他のテーマについても、メンバーたちからの発表があった。IFCAは、ふじ虹の会(静岡県富士市)とSOS子どもの村JAPAN(福岡県福岡市)というふたつの素晴らしい団体と協働し、ユースの権利擁護運動の歴史、里親リクルートメント、ユース・ボイス、ユース・リーダーシップ、そしてサポーティブ・アダルトについての講義をした。私にとって心に残ったことは、IFCAの活動がいつもそうであるように、今回のプロジェクトも、団体間だけでなく、ユースと大人、そして日本とアメリカの二つの国の間のコラボレーションが絶妙だったということだ。サポーティブ・アダルトがユースの自立を助け、大人への確固とした道を開くように、IFCAは他の団体や組織とパートナーシップを組むことで、ユースや、養育者、そして児童福祉の仕事にたずさわる人たちのエンパワーメントと、システムの改善に貢献してきた。
もうひとつ、私がこの旅で考えたことがある。素晴らしい協働とエンパワーメントは、ここで終わってはいけないということだ。誰かの人生経験について耳を傾けることは、有意義だ。でも、そこでとどまらず、その人の人生体験から学び取ったものを、アクションに変えてゆく必要がある。行動をひき起こしてゆくことが目的で、私たちは自らのフォスターケアのストーリーをたくさんの人たちと共有していることを忘れてはいけない。この三月に日本で私たちの講義を聞いた聴衆の方たちがモチベーションを上げ、コラボレーションが継続し、究極的には、児童福祉の改革に役立つことを祈っている。
ジョセフ・キャンベルは「無上の幸福を追求すること」はあなたにとって、絶対にやり残すべきではないことに向って行動することだ、と言っている。私にとって、やり残すことがあるとしたら、それは、現在のフォスターケアの現状を知っていながら、何も行動を起こさないことだ。あなたにとって「至福を追求する」ということの意味はなんだろうか?
コメントを残す