ジャネル・ブラクストン
「とても素晴らしかった日本の旅」
デルタ航空の飛行機で10時間のフライト。機内では、ほとんど私の母国語「英語」を知らない人間が隣に座っていました。胸の鼓動は激しくなり、これから起こることに思いをはせずにはいられませんでした。このときまさしく、私は、人生の新しいドアを開け、想像もつかない経験をするチャンスをつかみ、未知なる言語を話す文化圏に等身大の自分を突っ込こもうとしているのだと思いました。成田空港に着いて間もなくは、英語の看板に囲まれ、スーツケースを手に自分たちの行き先を指差す人々と、手続きを待つ人の長い列をみて「これは夢なのでは・・?」という感覚に浸りました。まっさらなパスポートに入国印が押されて、ようやく心身ともに日本に入る準備が整ったのです。この旅で私は、日本の文化について、フォスターケアシステムとそれが直面している課題について、計り知れないほど多くのことを学びました。自分の思いや経験を何百人もの前で話し、共有できたことは、「幸せ」という言葉では表しきれないほどの喜びをもたらしてくれました。日本にきたことは、私の人生を変えました。この旅は私の視野をぐんと広げ、これまでに気付かなかった多くの問題について目を向けさせてくれました。フォスターケアシステムを経験することに関して言えば、「差異」よりも「類似点」のほうがずっと多いこともわかったのです。
日本でのことを振り返ると、この旅がどれだけ貴重な経験であったかに気付かされます。ケアの卒業生として、私はこの社会で生きるにあたり、高等学校までの教育と、結婚、何とか生きていけるくらいの生活水準と、困難と戦っていける力があればいいかなと思っていました。でも、年を重ねるに連れ、だんだんと、この住み慣れた世界から抜け出し冒険をしたいと強く思うようになったのです。ですが、多くの人がそんな夢無理だといって反対し、結局、夢への階段から私は引きずり下ろされてしまいました。そんなとき、IFCAのことを聞き、私は興味をかきたてられました。アメリカチームの一員となったとき、魅了され、興奮し、誇りに思い、もうなんでも、ありとあらゆる良い情動がこみ上げてきました。私にどんな技術があり、私はチームにどう貢献できるのか知っていて、私たちはこの旅について計画し始めたのです。この経験で私は、「私だって大きな夢を描けるんだ!」「やりたいと強く思ったことは必ず達成できるはずだ!」という自信と信念を得ることができました。過去に暗いことがあったからといって、未来への道が暗くなるわけでは全くないし、両親と同じ道を辿る必要はないんだと。IFCAで私はいろんな機会をもらいました。夢を実現できる力が自分にあることを証明する機会、良いリーダーとはなにか考え成長する機会、そしてアメリカだけでなく日本の人々にも自分の経験を共有する機会です。
私は吉田睦美さんの主催で、私たちが観た映画に関する大きなディスカッショングループを持つために「わなびば333」でのイベントに参加しました。睦美さんは変化を創り、日本におけるフォスターケアのアドボカシーをしている一員としてとても情熱を持っていたのが、私の心を打ちました。私はイベントに参加する中で、睦美さんの言っている事を全部理解できて、今日本で何が起きていて、活動が前進している事を知ってとても誇らしい気持ちになりました。後日、私たちは富士市のラホール富士で最初のプレゼンテーションを行いました。私は施設や里親のもとでの成長過程における、きょうだいの関係や家族の重要性に関して話しました。家では絶対に話さないようなことを話したので、あふれだす感情からプレゼンテーション中に泣きました。プレゼンテーションのあと多くの人が来てくれて「よかったよ!」と言ってくれました。確かに、言語の壁はあったと思うけれども、それ以上に彼らが何を言ってくれているのか分かったし、正に私のプレゼンテーションの中で伝えたかったことでした。私はSOS子どもの村JAPANのイベントでも私のストーリーを共有できましたし、そのイベントに参加していた人たちはとても驚いていました。そのイベントの参加者は私たちのプレゼンテーションを楽しんでいましたし、その感想も受付で聞くことができました。そのうちの何人かは実際に子どもや青少年を家庭内暴力の家から里親家庭に助け出す活動しており、里親家庭もどうしたら子どもが家に馴染んでくれるか知りたいとのことでした。これらの経験を通じて、一つの確信にたどり着きました。私が語ることは重要であり、それはフォスターケアを経験した子どもたちの人生を変える手助けをすることができるということです。
日本での滞在も終わりにさしかかり、夢のようだと感じたあの感覚は消えて行きました。でも、家に帰ったとしても、以前とは違う人生が待っていると思っていたし、帰ってみるとやはりそうでした。私は以前よりももっと外の世界の出来事について気にするようになり、それが原動力となってより活発に行動を起こすようになったのです。ケアの活動はとてもハードで、こういうタイプの仕事を続けると、若者やケアの卒業生のために「希望の灯りをともそう」と努力し創造しようとする熱い想いがそがれていくときもあるのですが、全費用を支払ってもらい旅行を今回したことで、私の原点となる想いが見事に蘇ってきました。私は今、自分が置かれている状況に感謝し、この仕事を続けながら、数えられないほど多くの若者が直面している問題について世界のどこにいてもコミュニケーションできる場を作り出していきたいと思っています。そこはフォスターケアシステムを経験している人々が集まる場で、そこで私はどんどん自分の想いや考えを述べていきたいのです。なぜなら、この旅で、「それは私の声でもあり、みんなの声でもあるかもしれない」ということを学んだからです。
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