3月の日本での時間を振り返って
ティム・ベル
IFCA 米国チームは、日本チームとともに、フォスターケアのイベントを主催したり、また参加したりの9日間の旅をした。この9日のあいだに、僕たちは富士市と福岡市で出会った人たちと新しい友情関係を結んだと同時に、従来の仲間たちとの友情をより深いものにすることができた。さまざまなテーマについて講義をするなかで、自分たちが学びとったことも多い旅だった。僕たちは、ユース・デベロップメントやユース・アドボカシー、そしてサポーティブ・アダルトについてもセミナーを行った。米国の児童福祉財政の仕組みや、それが日本の社会にどのように適用できるのか、また、ワシントン州の里親リクルートメントについても講義をした。
日本じゅうを旅するうちに、僕はIFCAのミッションとこの団体の実力について新しい見解を持つようになった。 IFCAの活動には3つの柱がある。(社会的養護の当事者のためのプログラム、子どもの養育にあたる人たちのためのプログラム、そして、児童福祉の仕事にたずさわるプロフェッショナルのためのプログラムである。)このIFCAの3つのミッションを、僕はいつも“焦点が定まっていない”のでないか、という批判の目で見てきた。けれども、この3月の日本旅行で、IFCAが発揮した力は注目にあたいする、と実感した。ユースと大人たちが、時には並行して、また独立した立場で、そして時には一体となって、いろいろなプロジェクトに取り組んだ。大人の講演者には、ユースがコメントし、ユースの講演には、大人のインプットがある、というように、相互が補充し合うことで完成度が高いものが出来上がった。さらに良かったのは、このチームワークが自然に、苦もなく生み出されて行くことだった。ユースと大人がお互いのスキルと能力を認め合い、真のパートナーとして協働するのを目の当たりにすること、そして体験することは、感激的だった。
今回、日本のフォスターケアのシステムについて考えたことは、パーマネンシーについて、もっとユースが中心となって対話を始める必要がある、ということだった。このことについては、以前にも“措置解除”というブログのなかで、詳しく述べた。だが、今回の旅行中に子どもたちを養育している人たちや、児童福祉の専門職たちと話すうちに、パーマネンシーについての対話がなされていないことを再認識した。誰ひとりとして、自分の育てている、または専門職として関わっているユースたちが、大人との関係の安定性について不安を抱いているかどうか知らないのだった。それでいて、ユースたちが健全に育つためには恒久的な人間関係が重要だということを、みんなが感じていた。この“認識のずれ”のような現象が起きるのは、ユースたち自身が十分にパーマネンシーについて語る機会を与えられていないからである。措置解除になった後、自分を育ててくれた人たちは政府からの里親手当を断たれた後も、家庭の中に受け入れてくれるだろうか。大学進学のための経済的な援助や、最初のアパートに入居する時のサポートをしてくれるだろうか。結婚式には来てくれるのだろうか。これは、ユースが抱くたくさんの疑問のなかのいくつかに過ぎないが、ケアを離れるユースたちが、今まで続いてきた“親子の関係”について、自分からこと細かく質問することの居心地の悪さは容易に理解できるだろう。だが、養育者への疑問への答えが何にもまして欲しいと感じているユースたちにとっては、これはさしせまった問題なのだ。
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