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Posted by: ifcayouth Category: LGBTQ & フォスターケア Comments: 0 Post Date: 6月 2, 2017

2015年ユースサミットでのスピーチ: ジェイコブ

 ジェイコブ・ブラクストン

こんにちは。私の名前はジェイコブ・ブラクストンです。現在、20才ですが、8年間フォスターケアを経験しました。

今までの自分の人生で、たくさんの堪え難いほどの状況がありましたが、現実と向き合ってなんとか生きてきました。それは、自分がゲイ(同性愛者)であること。フォスターケアで育ったこと。貧困家庭に育ったこと。糖尿病を持っていること、感情的に不安定であることなど、あげていったら限りないです。

自分の家族と暮らしている時は、それなりに幸せでした。今、その生活を振り返ると、ベストな状態ではなかった、と言いきることができます。私の他には3人のきょうだいと両親がいました。私の家族は、思い出せないくらい、いろいろな場所に移り住みました。避難所のようなところ、車のなか、ホテルや親類の家の一室、などでした。大人数でぎゅうぎゅう詰めでしたが、家族といられることが幸せだと感じていました。クリスマスのような祭日は、ストレスの原因になりました。私たちの家族は食料を買うのが精いっぱいで、そのほかは、何も買えなかったからです。私の両親はアルコール中毒者で、私たちを虐待し、育児放棄し、置き去りにすることもしばしばありました。私は小さかったし、すべての家族がこういうものだと思っていたので、気にならなかったのです。

ですが、私の姉が家族から引き離され、その時はじめて、これは何かがおかしい、と気づいたのです。姉が1週間ほど家に戻らなかった時、母に姉はどこに行ったのかききました。母は泣きながら、私ももうすぐ姉の住む家に送られるのだと言いました。私は、何が待ち構えているのか、これから住み慣れた自分の家族と別れて暮らさなければならない実感がありませんでした。まだ7才だったからです。

最初に里親家庭に連れて行かれたとき、不安とストレスでいっぱいだったのを覚えています。
どこに行くのかもわからないことは、恐ろしいことでした。もう二度と自分の家族に会えないかもしれない、という思いが私の恐怖感と孤独感を駆り立てました。ですが、私の最初の里親家庭に移り住んでみると、姉と一緒にいることができました。その当時は、里子のきょうだいがそろって里親家庭に生活できることはめずらしかったのです。この新しい家庭に住むことは気持ちの面からも難しい経験でした。自分が育って来た家族の暮らしとまったく違っていたからです。

この里親の家は大きな家で、たくさんの部屋があり、私は自分のベッドが与えられました。自分に似ていない知らない人との生活がそこにあり、里親は、一日を予定通りに過ごすことと家事分担に厳しい人たちでした。私にとったは、まったくなかった経験です。学期がもう終わらんとしている時期に、新しい学校に編入して友だちをつくるのはたいへんでした。生徒たちはすでに仲間をつくっていたからです。

私は汚れた服を着たり、お風呂に入らない生活、三食の食事とおやつをしっかりとらない生活、なんの責任もない生活に慣れきっていました。この里親家庭は、私のそんな生活を変えたのです。今、振り返ると、自分の生活ぶりを良い方に方向転換したし、私にはそれがほんとうに必要だった、と思えます。長い期間に渡って、いろいろな困難にぶつかり、それに打ち勝ってゆくことで、私は、自分のフォスターケアでの経験を効果的に受け取めることを学びました。アートをとうして自分を表現すること、そしていろいろな支援を受けながら自分の精神的な健全さを保つ術を見つけていったのです。

アートは、自分の心が不安定だったり混乱している時の助けになりました。今、振り返ると、アートによって、私はたくさんのセルフケアをして来たのです。悲しい時や周りで起きていることに打ちのめされそうになる時、私はいつも音楽に心の安らぎを求めました。音楽は、会話のいらないセラピーのようなものでした。絵を描いているとき、お芝居をしている時、学校で楽器を練習させられているとき、自分をより芸術的に表現するように心がけました。

皆さんに質問をしたいと思います。私の質問に、ただ手をあげることで答えて下さったらよいです。この中で、秘密を持ったことがある人はどのくらいいますか。人にその秘密を打ち明けたいのだけれど、受けとめてもらえなかったらどうしよう、理解されなかったらどうしよう、という不安からその秘密をシェアできなかった経験のある人は手を上げてみてください。 (いったん止まり、待つ。)

私の場合はひとつだけ、家族にかくしていたことがあります。恥ずかしいと思ったし、ノーマルではないと感じたし、家族のみんなから避けられたらどうしようと感じたからです。こんな感情を持ったのは、ニュースを見ていて、ウガンダで同性愛者だということをカミングアウトした人たちが殺害されたたことをレポーターが伝えました。私が自分がゲイであることを家族のみんなに告げたとき、辛い思いをしました。母が私のことを受けとめられなかったからです。ほかの家族は私をサポートしてくれ、特に姉のジャネルは私を良く理解してくれました。

私は抱えていた秘密を話し、周りの人たちに支えられることによって、心の重荷がなくなり、ほんとうに自由になりました。他の人間のふりをしたりすることのなくなった私は、自分を演劇や、ファッション、そしてレディー・ガガの熱狂的なファンとしての思いをとうして表現するようになりました。

私は、ネイティブ・アメリカンの 、レッド・イーグル・ソアリングという劇団に入りました。私たちは、ネイティブ・アメリカンの歴史についてのお芝居やワークショップをつくりました。この劇団は若者たちに演技や祖先の歴史のこと、台詞のいい方など、基礎的なコンセプトを教えます。

私はこの劇団に8年間いました。劇団長がもうひとつのほかの劇団について、メールで知らせて来ました。QTET (Queer Teen Ensemble Theater)という名のLGBT の劇団でした。LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の4つの言葉の頭文字です。この劇団には、演劇がすきなLGBTのユースたちが集まっていました。いじめや、人権侵害、人に認められない、といった苦難を経験したユースたちの集まりのなかに仲間として加わることはほんとうに楽しいことでした。自分の殻から抜け出た私を抱きとめてくれました。

私たちはほかの人の本を読んで脚本を選ぶのではなく、自作の脚本を書きました。これはとても難しいことでしたが、私たちのエンパワーメントにつながってゆきました。この劇団は、私に家族のような仲間を与えてくれただけでなく、私の人生の支えになり、芸術的なビジョンも与えてくれました。こんなに自分が自由で解放されたことは以前にはありませんでした。もっといろいろなことをする人生を送ろうという気力とともに、私は自分の声をファション・デザインの中に求めるようになりました。

私はファッションの中に、創造性と感情を見いだしていきます。洋服、靴、帽子、バッグなどありとあらゆるものを作ります。どんなに変わってみえても、気にしません。自分をハッピーにする、自分のための創造だからです。*これも、私がつくった服です。*夜になると、クリエイティビティが高まり、明日着る服を縫い始めます。時々、私のつくった服は、たくさんの人たちの目に止まりました。
ほかで一般的に見る服ととても違っているからです。私は個性的であることが大好きです。他の人が自分をどう見ているかということを気にしなくなるのに14年かかりました。

将来、アーティストになること。技術を磨き、将来は芸術専門の学校に進学し、有名なファッション・デザイナーになることが自分の運命だと感じています。自分を表現することは、ストレスを和らげ、存在の価値に気づき、認めてもらうことです。私の叔母は、私の才能に気づき、ミシンを買ってくれました。母は縫い物を私に教えてくれることで、絆が深まりました。ファッションが私の家族との距離を縮め、私に様々な機会を運んできたのです。

私は、自分を支えてくれているサポートシステムについて話しましたが、このスピーチを書くことによって、サポートというのは基本的なことだけでなく、人の人生のちいさな部分にもあることに気づきました。フォスターケアのもとで育った私の一番の友だちは、姉のジャネルです。他の子どもたちから自分たちを守り、一緒に大声で笑い、つまらない冗談を言い合いました。貧乏だった私たちは、一緒に時を過ごすこと自体が楽しみだったのです。私が落ち込んだりすると、最初に話しをしたいのは姉でした。ジャネルは私への話し方、気持ちの鎮め方をよく知っていました。フォスターケアを生き抜くことは容易なことではありませんでしたが、彼女の支えは私の人生の中でかけがえのないもので、お互いの絆が深いために、たくさんのことを乗り越えました。

叔母や叔父などの親戚も私を支えてくれました。彼らは、私が 機能障害のある家族ではない、普通の家族の一員なのだという気持ちにさせてくれました。私は、14才の時からカウンセリングに2週間に一度通い続けています。カウンセリングは私の精神の安定を保つのに役立ちます。私のカウンセラーは精神的に難しいことに直面したとき、感情が表にあらわれるのはノーマルなことだから、その感情をどうやって表してゆくか、ということを教えてくれ、それが私の仕事をする上での助けになっています。
私は、パッション・トゥー・アクションという非営利団体にも参加しています。この団体はフォスターユースの顧問委員会です。ユースが児童福祉のサービスを与えている団体に対して、その政策や実践についての示唆や推薦を送ります。フォスターケアの出身者である私は、児童福祉を改善し、システムのもとで生活するユースたちのニーズが満たされるように、フィードバックを与えます。このようなサポートが、私を形成していることに今、気づいています。いろいろな人たちが時間をかけて私を支えてくれたことに感謝しています。それでなければ、今このように、皆さんの前で話す機会も無かったからです。

皆さんも自分の人生を振り返って見てください。ホームレス、貧困生活、そして捨てられた経験。虐待やネグレクトの犠牲になった経験、鬱症状、恐怖感、秘密を抱えた経験。グループホームに住んだ経験。そんな経験ひとつひとつをエンパワーメントの材料にして、人生を切り開いて行って欲しいと思います。私は小さい頃から、崩壊した家庭出身のみすぼらしい子どもと見られていました。ですが、人生経験を利用して、ネガティブからポジティブに生き方を転換していくことができます。

私のように、皆さんは自分が考えているよりずっと強いし、今日よりも明日の方が良い日であると考えるのはどうでしょう。どのように困難と向き合うか、どんな夢に持って生きたいのかは、あなたの決断次第だと思います。不可能なことはひとつもありません。

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