自立支援ホームでの経験
タリア・ガルシア
自立支援プログラムが提供する共同住宅での暮らしは困難なものでした。ですが、私はその困難に打ち勝ったといえる、と今では感じています。
それは、パスウェイという名前のプログラムでした。私はこのプログラムに17歳の時に移住しました。社会的養護を離れなければならないのに、ホームレスだったからです。ここに一人で引っ越すのは、悲しく孤独なことでしたが、このプログラムの住宅に住むことができて、ほっとしました。やっと、行くところがみつかったからです。
タリア・ガルシア
自立支援プログラムが提供する共同住宅での暮らしは困難なものでした。ですが、私はその困難に打ち勝ったといえる、と今では感じています。
それは、パスウェイという名前のプログラムでした。私はこのプログラムに17歳の時に移住しました。社会的養護を離れなければならないのに、ホームレスだったからです。ここに一人で引っ越すのは、悲しく孤独なことでしたが、このプログラムの住宅に住むことができて、ほっとしました。やっと、行くところがみつかったからです。
読者のみなさんへ
これは、社会的養護の当事者がケアを離れて自立してからの、3つの重要な時期についての3部作である。この調査のために、 ワシントン州の社会的養護のシステムの下で養育を受けた地域の当事者に集ってもらい、フォーカス・グループの方式で意見聴取を実施した。このブログの読者が、“自立” というひじょうに混乱を招きやすい大人への移行期について理解を深め、より良い選択ができることを願っている。社会的養護の当事者以外の読者の方たちは、このブログを、当事者の置かれている状況を理解するための情報・知識として利用していただけたらと思う。
ジャネール・ブラクストン IFCA 編集部エディター
皆さんこんにちは。私はIFCA日本ユースの佐藤智洋です。去年の11月にIFCAに ユースとして加入しました。現在20歳で、今は日本で奨学金をいただき、アルバイトをし ながら大学に通っています。私は15歳の時、両親の虐待が原因で保護され児童養護施設に入所し、19歳で施設を卒 園しました。今は大学の近くで一人暮らしをしています。
私の発表では、自分の経験を交えながら児童養護施設がどういったところなのか、子ども たちはどんな暮らしをしているのかを皆さんにお話したいと思います。
ゆきか
[2015年7月12日・シアトル]
はじめまして。私の名前は幸加(ゆきか)です。28歳です。IFCAユースプロジェクトの二人いるコーディネーターのうちの一人です。また、ブリッジ・フォー・スマイルというNPOでユースの奨学金支援プログラムでユースのサポートを行っています 。
私は、19歳まで母親のもとに暮らしていました。幼い頃から続いた暴力に耐えきれなくなり、19歳になったばかりの冬のことです。雪が残る寒い2月。母親の制止を振り切り裸足で逃げ出しました。16歳で高校を辞めさせられ、働かされていた19歳の私が行ける場所は、ありませんでした。勇気を振り絞って、逃げ出したのに、行く場所は里親でもなければ、施設でもありませんでした。そんな私は家を飛び出してから、どこに行ったのか、日本の児童養護の現状と私の考える課題についてお話します。 (さらに…)
山之内 歩
私は小学生の高学年の頃、里子であるということが原因でいじめをうけていました。殴ったり蹴ったりもされたり、携帯電話に死ねというメールが来たりしました。それが嫌でお母さんに中学受験をしたいと頼み、中学受験をさせて頂きました。そして大学の付属の学校に合格することができました。
私が小学生で里親さんの家に来た頃から夢は決まっていました。それは教師になることでした。里親のお父さんが教師をしていたからです。お母さんも自分の夢を応援してくれ、教師を目指して大学で勉強しています。 社会的養護のもとで生活する子どもの数は全部で約4万6千人います。その中で大学進学率は約20%となっています。大学卒業率は9%ととても低くなっています。毎日の生活費と大学の学費の両方を稼ぎながら大学の授業に出席しなければいけません。だから大学を中退してしまうのです。私も大学に通いながら塾のアルバイトをしています。 (さらに…)
“エージング・アウト”は、フォスターケアの世界では良く使われる言葉です。アメリカのフォスターユース(社会的養護の当事者)ならだれでも、18才の誕生日を迎える時、または高校を卒業する時に体験 は、ユースが州“エージング・アウト”とは、州政府のケアの下を離れ自立することなので、 官僚的な保護から自由な身になるのと同時に、ユースにとっては、それまでシステムの中にいたから受けることができた、あらゆるサービスを断ち切られてしまうことでもあります。
措置解除と聞き真っ先に浮かんだ言葉は『自由』でした。
18歳で施設を出て自立しなければならない私達が、これから歩む道に敷かれたレールなんてなく、全て自分達で開拓していかなくてはなりません。
自分の判断や行動が他の人よりも重く深い意味を持つことも事実です。
自分の18才の誕生日のことを振り返る時、僕のことを支え、愛し続けてくれるはずだった里親が「僕を拒否した」思い出がよみがえってくる。少なくともその時はそう感じていた。でも実際には、里親と僕が思い描いていた「これからのお互いの関係」がふたつの違った方向をむいていただけだったことが、あとからわかった。
私にとって措置解除(≒aging out)は、新たな人生のスタートと社会的養護の課題と向き合うタイミングでした。大学進学と同時に退所をしても良かったのですが、金銭面(家の初期費用)や大学生活に慣れていない中一人暮らしは厳しいのではないか?という施設職員からのアドバイスのもと、施設から通学することになりました。
S.Y.
1)僕にとって自立・措置解除(≒aging out)は、新たな始まりを告げるとともに、今まで送ってきた人生に何度目かの別れを告げるものでした。アメリカを去った時…親元を離れて施設に入ったとき…養護施設から自立援助ホームに移ったとき…僕はこれまでの人生で何度も過去に対して別れを告げてきました。
2年前、いよいよ自立援助ホームを離れAging Outを迎えたとき、僕は将来への期待と不安が入り混じった気持ちでそれまで住んでいた部屋を後にしました。その後結果的に僕は失業を経験し、社会との接点をなくしてしまいました。それでも、自分で各所の門を叩き、今ではこうしてIFCAやそれ以外にも様々な場所で活動しています。 (さらに…)